ブラジルにおけるアフロ・ブラジリアン・ダンスの系譜:カンドンブレ、ウンバンダに根ざす身体表現から現代舞台芸術への変遷 - 文化、歴史、地域スタイルの探求
はじめに
ブラジル文化を語る上で、アフリカ系の人々がもたらした文化要素は極めて重要な位置を占めております。特にダンスにおいては、その多様なリズムと身体表現が、ブラジルのアイデンティティ形成に深く関わってまいりました。アフロ・ブラジリアン・ダンスと一括りにされることもありますが、その内部には多様な系譜が存在し、それぞれが独自の文化的背景と歴史的発展を遂げております。本稿では、その中でも特に宗教儀式に深く根ざしたカンドンブレやウンバンダといった要素から派生・変遷し、現代の舞台芸術や大衆文化に影響を与えているアフロ・ブラジリアン・ダンスの系譜について、その文化的背景、技術的特徴、そして地域によるスタイルの違いに焦点を当てて考察を進めてまいります。単なるパフォーマンスとしてのみならず、その精神性や歴史的意義を理解することは、このダンスの真髄に迫る上で不可欠であると考えられます。
宗教儀式に根ざす身体表現:カンドンブレとウンバンダ
ブラジルにおけるアフロ・ブラジリアン・ダンスの最も深い源流の一つは、アフリカから奴隷として連れてこられた人々が持ち込んだ宗教儀式、特にカンドンブレとウンバンダに見ることができます。これらの宗教は、西アフリカ、特に現在のナイジェリアやベナンにあたる地域のヨルバ族、フォン族、エウェ族などの信仰と、ブラジルにおけるインディオやカトリックの要素が融合して形成されました。
儀式におけるダンスは、単なる踊りではなく、オリシャー(Orixás、カンドンブレの神々)やインコーソ(Inkoce、ウンバンダの精霊たち)を降臨させ、交流するための極めて重要な手段であります。それぞれのオリシャーやインコーソには固有のリズム、メロディー、そして身体表現が結びついております。例えば、雷と正義の神であるシャンゴー(Xangô)は力強いステップや斧を模した動き、海の女神であるイエマンジャー(Iemanjá)は波のような滑らかな腕の動きや優雅なステップで表現されます。狩猟の神であるオショッシ(Oxóssi)は弓を引く動作や森の中を進むようなステップが特徴的です。
これらの動きは、長年の口承と実践を通じてコミュニティ内で継承されてきました。その技術的な特徴としては、大地を踏みしめる力強い足の運び、体幹を安定させつつも柔軟に波打つような胴体の動き、そして腕や手を用いた象徴的なジェスチャーが挙げられます。ドラム(アバーキ、ヘピーキ、アゴゴなど)のリズムと歌声がダンスを導き、踊り手はトランス状態に入り、降臨したオリシャーやインコーソの特性を身体で表現するとされています。この儀式におけるダンスは、コミュニティの結束を強め、個人の精神的な浄化を促す役割も担っておりました。
儀式から舞台芸術へ:世俗化と変遷のプロセス
カンドンブレやウンバンダのダンスは、植民地時代から共和政初期にかけては、しばしば抑圧の対象となりました。しかし、20世紀に入り、ブラジルの国民文化を再評価する動きの中で、これらのアフロ・ブラジリアン要素が注目されるようになります。人類学者や芸術家たちが儀式を研究し、その身体表現を舞台芸術へと応用する試みが始まりました。
この変遷において重要な役割を果たしたのは、バイーア州サルヴァドールを中心とした地域です。アフリカ文化の色彩が特に濃いこの地で、カンドンブレの動きをベースにしたダンスが舞台作品として構成されるようになります。代表的な例としては、バレ・フォルクローリコ・ダ・バイーア(Balé Folclórico da Bahia)のような団体が挙げられます。彼らは、儀式で踊られるオリシャーたちのダンスを、劇場空間での上演に適した形式へと再構成し、技術的な洗練を加えました。これにより、特定のオリシャーの動きが独立したダンスピースとして提示されたり、ストーリーテリングの中に組み込まれたりするようになります。
この過程で、儀式で求められる精神性やトランス状態とは異なる、舞台芸術としての表現力や観客への伝達性が重視されるようになりました。身体のライン、フォーメーション、照明や衣装といった舞台装置との連携が考慮され、もともと儀式において機能的な意味を持っていた動きが、より視覚的に魅力的でダイナミックな動きへと発展していきました。同時に、カポエイラやサンバ、フレヴォといった他のアフロ・ブラジリアン文化要素も取り入れられ、多様なスタイルが生まれております。
地域によるスタイルの違い
アフロ・ブラジリアン・ダンスのスタイルは、ブラジル国内の地域によっても差異が見られます。
- バイーア州サルヴァドール: ブラジルにおけるアフリカ文化の中心地であり、カンドンブレの系譜を強く受け継いだダンスが特徴です。前述の通り、オリシャーのダンスが洗練され、舞台芸術としての形式が確立されております。力強く、大地に根差したステップと、明確な腕や体幹の動きが特徴的です。
- リオデジャネイロ: カーニバル文化が非常に強く、サンバのダンスがアフロ・ブラジリアン要素と融合しています。サンバ・エンヘード(Samba de Enredo)における華やかなパレードのダンスや、ファンキ(Funk)に影響を受けたより現代的なストリートダンスの中に、アフロ・ブラジリアン由来の身体性が取り入れられている場合があります。カンドンブレやウンバンダの動きが直接的に舞台化されるよりも、大衆文化の中で消化・変容している側面が強いと言えます。
- 北東部沿岸部(バイーア以外): ペルナンブーコ州のフレヴォやマラカトゥなど、独自の文化とリズムを持つ地域にもアフロ・ブラジリアン由来の身体表現が見られます。フレヴォの軽快なステップや傘を用いた動き、マラカトゥにおけるキングやクイーン、オリーシャを模した行列やダンスなど、それぞれの地域で固有の発展を遂げております。
これらの地域差は、奴隷貿易の歴史、各地域で優勢だったアフリカの民族、そして他の文化(インディオ文化、ヨーロッパ文化)との接触や融合の度合いによって形成されてきたと考えられます。
現代への影響と展望
アフロ・ブラジリアン・ダンスは、現代のコンテンポラリーダンスや世界のダンスシーンにも影響を与え続けております。その力強いリズム感、大地との繋がりを感じさせる身体性、そして感情豊かな表現は、様々な振付家やダンサーにとってインスピレーションの源となっております。また、ブラジル国内においても、伝統の継承と現代的な解釈を試みる若い世代のダンサーや振付家が登場し、新たなスタイルを生み出しております。
一方で、儀式に根ざした神聖な動きが世俗化され、エンターテイメントとして消費されることに対する議論も存在します。その深い文化的、精神的な意味を理解せずに表面的な動きのみを模倣することへの懸念や、伝統的なコミュニティにおける継承の課題なども指摘されております。アフロ・ブラジリアン・ダンスに関わる私たちは、その歴史的背景と精神性を尊重しつつ、どのように現代社会においてその価値を伝えていくかという問いに向き合う必要があります。
まとめ
ブラジルにおけるアフロ・ブラジリアン・ダンスは、単なる身体運動の集合体ではなく、アフリカからブラジルへ渡った人々の抵抗、信仰、そして生き抜く力が凝縮された文化遺産です。カンドンブレやウンバンダといった宗教儀式に根ざした身体表現は、長い歴史を経て舞台芸術へと昇華され、またブラジルの多様な地域文化の中で独自の発展を遂げてまいりました。その深遠な歴史、多様なスタイル、そして現代における挑戦を知ることは、ブラジルのダンス文化全体を理解する上で不可欠な視点を提供してくれます。この豊かな伝統が今後どのように継承され、発展していくのか、深い関心を持って見守っていく価値があるテーマであると考えます。