ジャワ舞踊の二つの源流:スルタン宮廷と民俗に見る技術的・文化的差異、スラカルタとジョグジャカルタのスタイルを中心に
インドネシア、特にジャワ島には、非常に豊かで多様な舞踊文化が存在します。その中でも、島の歴史と社会構造を色濃く反映しているのが、スルタンの宮廷で発展した「宮廷舞踊」と、庶民の間で受け継がれてきた「民俗舞踊」です。これら二つの舞踊は、その起源、技術、表現、そして文化的背景において明確な差異を持ちながらも、互いに影響を与え合い、複雑なジャワ舞踊の世界を形成しています。
本稿では、特にジャワの中心地であり、かつてマタラム王国の中心として栄え、後にスルタン宮廷が置かれたスラカルタ(ソロ)とジョグジャカルタ(ジョグジャ)における宮廷舞踊と民俗舞踊に焦点を当て、その技術的・文化的差異を探求します。これらの舞踊が、ジャワの人々の精神性、宇宙観、そして歴史とどのように結びついているのかを考察することで、ジャワ舞踊の深層に触れていきたいと考えています。
ジャワ宮廷舞踊:洗練された形式と精神性
ジャワ宮廷舞踊は、主にマタラム王国の分裂(1755年)によって生まれたスラカルタのスナナン宮廷と、ジョグジャカルタのスルタン宮廷において、数百年にわたり磨き上げられてきました。これらの舞踊は、単なる娯楽ではなく、王家の威厳、宇宙の秩序、そしてジャワの哲学的・宗教的思想を体現する儀礼的な性格が非常に強いものです。
代表的な宮廷舞踊には、神聖視される女性舞踊であるベダヤ (Bedhaya) や セリンピ (Serimpi) があります。これらの舞踊は、特別な儀式や国家的な行事の際にのみ上演され、厳格な形式と高度に洗練された身体技術が求められます。
技術的な特徴としては、以下のような点が挙げられます。
- 極めて緩やかなテンポ: ガムラン(ジャワの伝統音楽)の静かで瞑想的な響きに合わせて、舞踊は非常にゆっくりとした速度で進行します。これは、舞踊家が内面の集中を極め、動き一つ一つに意識を研ぎ澄ますことを要求します。
- 制御された身体: 腕、手、指の動き、そして顔の表情(ムカ manis - 優しい顔)は、非常に細かく制御され、抑制されています。感情を直接的に表出するのではなく、象徴的な動きや姿勢によって表現されます。特に指先の繊細な動きには、多くの意味が込められています。
- 内面的な表現: 身体の外面的な動きよりも、舞踊家の内面的な静けさ、集中力、そして精神性が重視されます。舞踊全体から漂う静謐さ、落ち着き(Halus)こそが、宮廷舞踊の最も重要な要素とされます。
- 象徴的な意味: 各ポーズや動きには、神話、歴史、あるいはジャワの宇宙観に基づいた深い象徴的な意味があります。例えば、ベダヤは九人の女性によって踊られることが多く、これは宇宙の九方向や九人のワリ・サンガ(イスラームをジャワに伝えたとされる賢者)を象徴するとも言われています。
スラカルタとジョグジャカルタの宮廷舞踊には、わずかながらもスタイルに違いが見られます。一般的に、スラカルタのスタイルはより優雅で丸みを帯びた動きが特徴とされる一方、ジョグジャカルタのスタイルはより力強く直線的な動きが見られる傾向があります。これは、両宮廷が独自の権威と文化を確立しようとする中で生まれた差異であると考えられます。
ジャワ民俗舞踊:多様な活力と地域性
対照的に、ジャワ民俗舞踊は、農村部や都市部の庶民の間で生まれ、発展してきました。これらの舞踊は、人々の日常生活、労働、祭り、収穫祭、冠婚葬祭、あるいは悪霊を祓う儀式など、多様な社会活動と深く結びついています。民俗舞踊には宮廷舞踊のような厳格な形式や儀礼性は少ないですが、その代わり、非常に多様で地域性が豊かであり、生命力に満ちています。
民俗舞踊の例としては、馬のレプリカに乗って踊るタリ・クダ・ルンピン(Tari Kuda Lumping)、仮面をつけて演じるタリ・トペング(Tari Topeng)、収穫を祝う舞踊など、数えきれないほどの種類が存在します。
技術的な特徴は、宮廷舞踊とは大きく異なります。
- 速いテンポと力強さ: ガムラン音楽も宮廷のものより速く、リズミカルで、舞踊の動きも力強く、活気に満ちています。
- 感情の直接的な表現: 喜び、悲しみ、怒りといった感情が、顔の表情や身体全体を使って比較的直接的に表現されます。
- 多様な動き: 日常生活や労働の動き、あるいは動物の動きなどが舞踊に取り入れられることがあります。また、アクロバティックな要素や、トランス状態を伴う舞踊も存在します。
- 小道具の使用: 仮面、剣、馬のレプリカ、扇子など、様々な小道具が舞踊の表現を豊かにするために使用されます。
民俗舞踊は地域ごとに独自の発展を遂げており、同じジャワ島内でも地域によってスタイルや使用される音楽、衣装などが大きく異なります。例えば、西ジャワのスンダ地方の舞踊、中部ジャワや東ジャワの特定の地域の舞踊は、それぞれ独自の特色を持っています。
宮廷と民俗の交錯、そして現代へ
ジャワの宮廷舞踊と民俗舞踊は、一見対照的ですが、歴史的に完全に分断されていたわけではありません。宮廷の舞踊家が民俗舞踊からインスピレーションを得たり、逆に宮廷で培われた技術が民俗舞踊に取り入れられたりする例も見られます。また、都市部における民俗舞踊の中には、宮廷舞踊の影響を受けて洗練されたものも存在します。
現代においても、これらのジャワ舞踊は生きています。伝統的な形式を守り、継承しようとする取り組みがある一方で、現代の舞台芸術として再構築され、新たな表現を模索する動きも見られます。特に、インドネシア芸術大学(ISI)のような教育機関では、伝統的な技術の習得と共に、創造的な舞踊の探求が行われています。
ジャワ舞踊における宮廷と民俗の差異を理解することは、単に舞踊のスタイルを比較すること以上の意味を持ちます。それは、ジャワ島の社会構造、歴史、そして人々の精神性がどのように身体表現に刻み込まれているのかを探る旅でもあります。この豊かな舞踊文化が、今後どのように継承され、発展していくのか、継続的に見守っていく価値があるでしょう。
議論への示唆
ジャワの宮廷舞踊と民俗舞踊に見られる差異は、他の地域や文化における宮廷舞踊と民俗舞踊の対比を考える上での興味深い事例を提供します。皆さんの経験や知見から、他の文化圏における同様の対比や、宮廷と民俗の間の相互影響について、何か共有できる事例はございますでしょうか。また、現代において伝統舞踊がどのように継承・発展されるべきか、ジャワ舞踊の事例を通して考えられることはございますでしょうか。